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シリアとイラクでISISが急速に進軍した理由 イランラジオ

前回のこの番組では、ISISの資金や武器の供給源と、ISISのメンバーの訓練における西側と
その地域の同盟国の役割についてお話ししました。


今回は、ISISが、シリアやイラクの一部の地域で急速に進軍した理由についてお話しします。


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ISISは、西側諸国の支援と、トルコ、サウジアラビアカタールアラブ首長国連邦によるシリアや
イラクでの危機発生への直接の関与がなければ、世界最大の統率のとれたテロ組織となることは
できませんでした。現在も、このタクフィール主義のテロ組織の存続は、こうした支援にかかっています。


昨年半ば、イラクの戦場で大きな変化が起こり、注目を集めました。ISISがわずかな期間に、イラク北部の
ニナワ州の州都で、イラクの第二の都市であるモスルを制圧したのです。ISISの急速な進軍と占領下での
犯罪は、イラクに警鐘を鳴らしました。ISISのメンバーは、首都バグダッドのすぐ手前に達していました。
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ISISのイラクでの急速な進軍と、この国の広大な地域の占領に
ついて、政治アナリストは数々の理由を挙げています。モスルは、
イラク軍の最大の基地があるにも拘わらず、簡単に陥落してしまいました。


その理由の一つは、モスルの関係者と軍司令官が、ISISと
取引を行ったことだとされています。

イラクの元独裁者、サッダーム・フセインは、その統治時代に、何年もかけて軍を統率し、幹部すべてを
バース党の勢力で固めました。イラクが占領され、軍が崩壊した後、イラクに新たな軍が設立されましたが、
アメリカ占領軍は、サッダームの反対勢力とイランがつながりを持っているという理由で、このグループを新たなイラク軍に入れませんでした。アメリカ占領軍は、イラクの統治政権に圧力をかけ、イラクの新たな軍を管理するために、サッダームフセイン時代の軍の将校を呼び集めることを主張しました。こうして、サッダームフセイン軍時代の司令官が、再び、軍の重要なポストを担うことになりました。

イラクの新たな軍に入った旧バース党の将校は、イラクの新たなシステムを支持していなかったため、
新たな軍でも、経済的な不正を行いました。軍幹部に不正が広まったため、司令部たちにもISISに対抗する力はなく、そのような幹部の不正を目のあたりにした兵士たちも、抵抗する意欲を失っていました。

こうした中、イラク政府の崩壊を狙う軍の旧バース党勢力の動機もまた、モスルをISISに明け渡す上で
考慮しなければならないでしょう。

とはいえ、2014年半ばにISISが急速に進軍した唯一の理由は、軍における旧バース党の存在だけでは
ありませんでした。

西側やトルコ、サウジアラビアカタール、その他の地域諸国によるシリアのISISへの資金や武器の供与も、
イラクでのISISの進軍を促す要因となりました。シリア軍と武装勢力の衝突により、シリア政府は、
イラクとシリアの国境の広大な地域のコントロールが不可能になり、またこの長い国境地帯をコントロールすることは、イラク軍にとって困難なことでした。そのため、シリアからイラクへの武器や爆薬の密輸が増加し、
西側政府が、シリアの反対勢力に供与していた武器がイラクに流れ、ISISはイラク軍との戦争でそれらの
武器を使用しました。

ISISは、モスルを占領し、イラク軍の武器を強奪することで、この国の他の地域への進軍を続けました。
イラクの一部の部族がISISに同調したことも、このタクフィール主義のテロ組織の急速な進軍を促しました。
とはいえ、ISISの力は、戦場におけるものよりもむしろ、メディアの宣伝において強いもので、それはアラブの
一部のニュースチャンネルの支援によってさらに高まりました。

ISISが占領下にある地域で行った犯罪の報道は、ISISに脅かされている地域に恐怖と懸念を広め、
これらの地域の人々は、ISISの手にかからないようにするために、町や村を離れていきました。

とはいえ、一部の都市では、人々がISISに対して称賛に値する抵抗を見せました。その一つが、
イラク北部のアメルリでした。この町の日々とは、3か月近く、ISISに抵抗し、最終的に、支援部隊の到着によ
って、ISISを撤退させることに成功しました。

イラク政府が警鐘を鳴らした頃、イラクシーア派最高権威、スィースターニー師は、ジハードの教令を
出しました。この教令により、シーア派スンニー派イラク人数十万人が、ISISに対抗するために
立ち上がりました。ISISに対抗する義勇兵を統率するために人民委員会が設置されました。国際分野でも、
アメリカが対ISIS有志連合を結成し、シリアでISISを支援していたトルコ以外の国々が、この連合に加わりました。彼らはそうする他にありませんでした。なぜなら、ISISによって行われた大規模な犯罪が、このグループに対する嫌悪の波を世界中に作り出していたからです。ISISが地域諸国や西側諸国にまで広がるのではないかという懸念により、西側諸国は、対ISIS有志連合に加わるしかありませんでした。

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しかし、アメリカも、その同盟国も、この連合でISISに真剣に対抗する意志はありませんでした。
今もそれは変わっていません。彼らはISISの兵器庫や拠点にダメージを与えるために空爆を開始しました。
しかし、そのような攻撃のいずれも、ISISに深刻なダメージを与えませんでした。それどころか、この攻撃で、
シリアやイラクの経済や産業のインフラが大きな被害を蒙りました。しばらく後、ISISは経験によって、対ISIS有志連合の空爆を逃れる術を学びました。このように、対ISIS有志連合の空爆は、アメリカとその同盟国が、
政治やプロパガンダとして利用し、世論を欺くための手段に過ぎなかったのです。

もし、西側政府が本当にISISに対抗しようとするのなら、トルコを同調させるだけで十分です。トルコの国境は、
ISISに支援が送られ、世界各地から人々がISISに加わる上で最大の通過点となっています。

シリアのクルド人が住む町、コバニは、トルコとの国境から2キロの場所にあります。この町は、ISISの攻撃に
対するこの地域の人々の抵抗の象徴です。コバニは、ISISの激しい攻撃を受けましたが、人々は持てる可能性によって自分たちの町を守りました。こうした中、トルコ軍は、シリアとの国境に戦車を配備するに留まり、
ISISの攻撃やコバニのクルド人の集団殺害をただ見ているだけでした。

最近まで、トルコと共にISISを支援していたこの国の同盟国も、トルコ軍と同じように、コバニの人々の
集団殺害をただ眺めているだけでした。一方で、イラクとシリアの人々のISISへの抵抗を支援した国も
ありました。それがイランです。イランはこの数年、イラクとシリアの政府や人々のタクフィール主義の
テロ組織への抵抗において、最大の支援を行ってきました。シリアとイラク抵抗勢力は、これまで何度も、
そのことを認めています。

イラクのマスーム大統領は、ISISへの抵抗へのイランの支援を認めたイラクの政府高官の一人です。
マスーム大統領はインタビューの中で、「イランはISISが誕生し、モスルを攻撃した当初から、我々に多くの軍事、人道支援を提供した」と語りました。AP通信も、これについて、次のように報じています。

イラクの多くの人々にとって、ISISへの抵抗における最大の同盟国は、アメリカでも、対ISIS有志連合でもなく、
イランである。イランはこの過激派のバグダッドへの攻撃を妨げた」 駐イラクアメリカ大使は、AP通信
インタビューで、「イランはISISへの抵抗において重要な役割を果たしている」と述べています。この発言は、
イランが、ISISをはじめとするタクフィール主義のテロ組織との闘争において、
地域で中心的な役割を果たしていることを示すものです。